子供のころの思い出

子供のころの思い出
私の父親は早くに亡くなってしまいましたが、私が子供の頃にも、もちろんその後にも本当に私に愛情を注いでくれました。

親父が亡くなったとき、親戚の叔母さんから、あんたはお父さんの希望の星やったもんな、くじけんと頑張らんとあかんで、と言われたのを鮮明に覚えています。

主に私が子どもの頃の親父の思い出としては、野球に関することが多いです。

自営業だった親父は、朝から晩まで働いていましたが、自身の休憩(リフレッシュ)も含めてかもしれませんが、日々、キャッチボールをしてくれていました。

うれしかったなぁ。

親父が、「おい、キャッチボールをするぞ」と言ってくれた時。


今から考えても、自身の休憩とはいえ、朝から晩まで、また、曜日に関係なく休みなく働いていた親父が、本当は私とキャッチボールをする暇などなかったのではないかな、と思います。

それは、私も親父と同じ立場になったときに分かりました。私も自営業者になり、子どもが生まれ、その子がサッカーボールを一緒に蹴りたいと言った時がありましたが、たった一日のたった数十分、いや十数分だったかもしれませんが、そのボール蹴りが私にはとても負担でした。

普段ほったらかしにしていた子供が切に願った父親とのボール蹴り。そんなささやかな思いさえ、当時の私には受けとめる懐の深さがなかった。
そんな出来事も経験して、私は親父には本当にかわいがられていたんだと思いました。

話は戻りますが、私は親父譲りで大の野球好きに育ち、小学校から組織の中で野球をして、中学、高校と公式野球での頂点を目指し続けました。

その時にも、ずっと応援して、アドバイスをくれたのは親父でした。

親父も野球選手になるのが夢だったようですが、商売熱心だった祖父は、早くから親父を跡継ぎ戦力として必要としたためあまり野球には熱中できなかったようです。

後の祖母から聞いた話ですが、親父は自分が子供のころ、祖父の会社の壁にいつもいつもボールをぶつけては捕る、ぶつけては捕る、を繰り返していたそうです。

祖父は野球は音痴だったので、父とキャッチボールができなかったんでしょう。
もっぱら父の相手は会社の壁で、とうとうその壁には穴があいてしまったそうです。

穴があくまで投げ続けた父。その子供の頃の記憶を確かなものにするためだったのでしょうか、私と毎日のようにキャッチボールをしてくれました。

自分のこどもにはそのような思い出を与えることなく、大きくなってしまった。でも、今からでも遅くはない。

目の前にあることをコツコツと!!がんばるぞーーー!